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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1850号 判決 1978年5月31日

控訴人 佐藤健一

<ほか一四名>

右一五名訴訟代理人弁護士 村井禄楼

被控訴人 三井不動産株式会社

右代表者代表取締役 坪井東

被控訴人 パシフィック・ドレッヂング・カンパニー

右代表者 ジョン・マクロード

右両名訴訟代理人弁護士 大橋光雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人三井不動産株式会社は、控訴人らに対し、金四一万六六五〇円及びこれに対する昭和三九年一二月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。被控訴人パシフィック・ドレッヂング・カンパニーは、控訴人らに対し、金五八三万三三〇〇円及びこれに対する同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠関係は、次に付加、訂正するほか、東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第五一七二号海難救助料請求権確認請求事件に対する同裁判所の判決(差戻前の第一審判決。以下同判決を差戻前の第一審判決という。)の事実摘示欄記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、右判決のうち差戻前の第一審原告亡中村信夫が自己固有の権利として主張する部分を除き、同判決三枚目裏上段八行目の「相生港」及び同九枚目表下段三行目の「玉港」をいずれも「玉野」に改める。)。

(控訴人ら代理人の陳述)

一  本案前の主張

仮に、中村信夫に船長としての本件海員の救助料に関する法定代理権がなかったとしても、同人は昭和四三年八月九日死亡したので、弁天丸の海員三二名のうち控訴人ら一五名において本件海員の救助料請求に関する訴訟手続を承継し、中村信夫のなした訴訟行為を追認した。右海員三二名全員が中村信夫の訴訟手続を承継したわけではないが、一団としての海員の救助料総額は法定されているから(商法八〇五条一項)、右一団を構成する個々の海員のうちに救助料請求の意思のない者あるいはこれを放棄する者があっても、そのため右救助料総額に変更はなく、残余の海員によって右救助料総額を被救助者に請求しうるのであり、またそのために訴訟手続を承継できるのである。したがって中村信夫の法定代理権欠缺の瑕疵は治癒され、中村の訴訟行為は有効なものとなった。

二  本案の主張

1  差戻前の第一審判決五枚目裏上欄九行目の「商法八〇〇条」の前に「海難における救援救助についての規定の統一に関する条約又は」を加える。

2  同六枚目裏上欄二行目から三行目の「五〇〇〇万円、」を「六二七二万五〇〇〇円、」に、同五行目の「七億円」を「六億二八四七万五〇〇〇円」にそれぞれ改める。

3  第二三洋丸が耐航性を失った原因の一つは、被控訴人三井不動産の同船における貨物積載の方法の誤りにある。即ち、本件海難は船底にたまったビルジを排除できないため起ったのであるが、ビルジを排除できなかったのは、本来船艙内に積むべき貨物を甲板上に積み船をヘビイトップの状態にしておいたからである。

4  本件曳航契約は、その基本契約書である乙第八号証の各条項を合理的に解釈すると、運送型又は請負型ではなく、雇傭型(曳航労務の提供)であるというべきである。特に右乙第八号証の第一〇条には「岡田組は、被曳船又はこれの積載貨物に対するどのような損失又は損害に対しても、曳航労務の着手及び(又は)完成の不履行に対しても……責任を負わないものとする」旨定めており、右によれば、岡田組は曳船行為拒否権をも有しているのであり、本件契約においては、目的地に被曳船が行く目的のために曳船が労務(動力)を提供するのみで、その成否は問わないのである。

したがって、曳船弁天丸の乗組船員に対する指揮権は労務を使用する被曳船第二三洋丸側にあり、また、乙第八号証第一条、第五条第二、三項等の規定から明らかなように、本件においては、被曳船の耐航性保持義務は出航時のみならず航海中も全く被曳船側のみに存するのであるから、曳船である弁天丸の船長は被曳船の第二三洋丸の引渡を全く受けたことはなく、出港後も同船には被控訴人三井不動産の被用者である渡部瑞夫が乗船し、同被控訴人がこれを占有していたものである。

以上述べたところから明らかなように、本件においては、曳船が提供する義務は単なる「牽引動力」に止まり、右の義務をこえて、被曳船の船底に裂け目(クラック)が生じて浸水し同船備付のポンプのみによる排水によっては増水するのみでそのまゝでは沈没必至の状態にあった被曳船を控訴人らが救助しなければならない義務は、公法上ないし道徳上はともかく、私法上は全くなかったものである。

5  被控訴人らの後記主張はいずれも争う。

(被控訴人ら代理人の陳述)

1  控訴人らの本案前の主張事実のうち中村信夫が控訴人ら主張の日に死亡したことは認めるが、その余は争う。控訴人らの訴訟手続の承継は許されるべきではない。

2  弁天丸の船長であった中村信夫固有の海難救助料請求権を訴訟物とする訴訟とその船員であった控訴人らの本件訴訟とは必要的共同訴訟の関係にあるというべきところ、中村の右訴訟は同人敗訴に確定したのであるから、もはや控訴人らの本訴請求を認容することは許されない。

仮に、右の訴訟関係が必要的共同訴訟でないとしても、中村信夫の敗訴判決に既判力類似の効力が認められるべきである。

3  控訴人らの前記二の2の主張の変更は許されない。

4  控訴人ら主張の救助料請求権は、救助をしたときから一年を経過したことにより時効によって消滅した(控訴人ら主張の救助料請求権の発生は昭和三七年一二月一四日であるところ、中村信夫が船長たる資格で本訴を提起したのが昭和三九年六月四日、控訴人らの承継、追認があったのが昭和四三年八月九日であるから、右によって中断を生じることもない。)。

5  被控訴人三井不動産と岡田組との間には、すでに被控訴人らが主張したとおり和解契約が成立したが、海難救助料についての紛争については、救助船の船主が被救助者と交渉し救助者である海員は右解決に従うという事実たる慣習がある。全日本海員組合は昭和三六年一二月一八日岡田組との間で、弁天丸乗組員の労働条件に関し協定書を作成しているが、これによると海難の場合の乗組員の手当が定められているのであるから、乗組員は被救助者に対する救助料の請求については一切を船主に任せていることになる。したがって弁天丸の乗組員である控訴人らに右和解の効力が及ぶものである。

(証拠関係)《省略》

理由

一  本件記録によれば、本件訴は、昭和三九年六月五日、中村信夫が弁天丸の船長としての資格によりその海員である控訴人らを代位して提起した(東京地方裁判所昭和三九年(ワ)第五一七二号事件)ものであるところ、同裁判所は、昭和四二年五月一七日、中村信夫は弁天丸船長を昭和三九年三月一日退職し、船長の資格を喪失後本件訴を提起したものであるから、船長たる資格に基づく本訴請求部分については当事者適格を欠き右部分の訴は不適法であるとしてこれを却下する判決(差戻前の第一審判決)をしたこと(なお、同判決は中村信夫固有の請求部分については海難救助料債権確認請求部分の訴を不適法として却下し、同給付請求部分を失当として棄却した。)、そこで、中村信夫は控訴し(ただし右確認請求部分については控訴しなかった)、右控訴事件は当庁昭和四二年(ネ)第一二二七号事件として係属したが、東京高等裁判所は、昭和四七年八月二三日、右事件について、中村信夫が昭和四三年八月九日死亡し、弁天丸の海員三二名のうち控訴人ら一五名が、中村信夫が船長の資格で海員に代位してした訴訟部分を承継し、その訴訟行為を追認したことにより、中村が海員を代位してした訴訟行為は行為時に遡って有効になったとして、差戻前の第一審判決のうち控訴人らが承継した部分を取り消し、右部分を東京地方裁判所に差し戻す旨の判決をし(中村信夫の固有の請求部分については控訴を棄却した)、右判決のうち右差戻部分はそのまま確定した(なお、右控訴棄却の判決部分については中村信夫の相続人が上告したが、昭和四九年九月二六日上告棄却の判決があり、中村信夫敗訴に確定した)こと、が認められる。

そうすると、東京高等裁判所の右差戻判決の判断は既判力を生じ、当裁判所もこれに拘束されることが明らかである。

なお、被控訴人らは、中村信夫の固有の請求訴訟と控訴人らの本件訴における各請求は「共同訴訟人ノ全員ニ付合一ニノミ確定スヘキ場合」というべきであるから、右各訴訟は必要的共同訴訟の関係にあると主張し、また、仮にそうでないとしても、中村信夫の請求に対する判決の判断が本件につき既判力類似の効力を生ずると主張するが、海難救助料請求訴訟は、船主、船長、海員が各自各別に提起することができるものと解すべきであって、必要的共同訴訟の関係にはないというべきであるし、また中村信夫の請求訴訟と本件訴訟は当事者を全く異にし、中村信夫の請求訴訟の判決が本件につき既判力ないし既判力類似の効力を生ずる余地はないものと解すべきであるから、被控訴人らの右主張はいずれも採用の限りでない。

二  そこで、本案につき以下判断することにする。

1  中村信夫が昭和三七年一一月頃株式会社岡田組(以下、岡田組という。)所有の汽船弁天丸の船長であり、同船の乗組員が控訴人ら一五名を含む差戻前の第一審判決添付弁天丸乗組員一覧表記載の三二名であったこと、弁天丸は同月二八日被控訴人パシフィック・ドレッヂング・カンパニイ(以下、被控訴人パシフィック社という。)所有の大型浚浚船一基及びその付属品を積載した被控訴人三井不動産株式会社(以下、被控訴人三井不動産という。)所有の第二三洋丸を曳航して、アメリカ合衆国ロスアンゼルスを出港し、太平洋を渡って日本の玉野に向ったこと、右曳航中第二三洋丸の船底に浸水したため、弁天丸は予定航路を変更しハワイのホノルル港に転進し、同年一二月一六日午後四時半同港に到達したこと、は当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  岡田組と被控訴人三井不動産との間に昭和三七年九月二四日別紙曳航協定書(乙第八号証)記載の内容の曳船契約(以下、本件曳船契約という。)が締結された。

(2)  本件曳船契約の被曳船第二三洋丸は、アメリカ合衆国より日本へ浚渫船を運搬する航行に用いるため、タンカー「カリビヤン・スカイ」号のスクラップ船体を改造したもので、主な改造点は機関部、油タンクの壁等を撤去し、浚渫船の積付けのための設備を加えた点にあり、改造後は長さ約一一六メートル、幅約二一メートル、深さ約一二メートル、排水量二六〇〇トンとなり、「一層甲板単底、船首桜付」の船型をしていた。その性能は自ら航行することはできないが、重い積荷を乗せて水上に浮揚し、曳航されて航行することができるものであった。

本件曳船契約にあたっては、第二三洋丸には、被控訴人三井不動産から派遣された二等航海士渡部瑞夫がほかの四名とともに乗り組むこととされたが、第二三洋丸の右上乗員五名も曳船弁天丸船長の指揮命令下に入ることが合意され、第二三洋丸は海難に遭遇した場合にも独自にこれに対処する能力も権限もなかった。

(3)  ところで、弁天丸は、本件曳船契約に基づき、昭和三七年一一月二八日、第二三洋丸を曳航してロスアンゼルス港を日本の玉野に向けて出港した。弁天丸はワイヤーロープで約三七〇メートルの距離で第二三洋丸を曳航し、第二三洋丸には前述の被控訴人三井不動産の二等航海士渡部瑞夫ほか四名(右五名は本件訴訟の当事者となっていない。)が乗り組んでいた。ところが、同年一二月四日頃第二三洋丸の船底に浸水があることを同船の乗組員が気付き、同乗組員らは同船備付のガソリンポンプでこれを排水した。そして、同月一一日になって、曳船弁天丸の船長中村信夫は第二三洋丸が左舷に約三度傾斜していることを発見し、ただちに第二三洋丸の渡部に命じて船艙内を調査させたところ、約二〇〇トンの浸水があるとの報告を受けた。そこで、中村は第二三洋丸の乗組員に対しただちにポンプで排水するよう指示するとともに、このままでは同船が重大な危険に直面すると判断し、曳船弁天丸を急拠ハワイのホノルル港へ向け転進させた。

その後、調査の結果第二三洋丸船艙内には約六〇〇トンの浸水があることが判明し、第二三洋丸備付けのポンプ一台ではこれの排水は困難なので、中村は弁天丸からその備付けのポンプ一台を第二三洋丸に送り込むことにした。右ポンプ一台は大人二人で持ち上げられる程度の重量で、これを箱詰めにし、その箱のうえから防水布を巻いて荷作りし、両船の距離を一五〇メートル位に縮めて、綱渡しの方法でこれを第二三洋丸に込り送んだ。右の作業は同月一二日午前八時頃から同日午後三時半頃までかかった。同日中村は右事故、転進を岡田組に報告し、岡田組は被控訴人三井不動産に報知し、同被控訴人は翌一三日岡田組に万全の処置をとるよう依頼した。

第二三洋丸では同船の乗組員らが同月一二日午後五時頃から同月一四日にかけて昼夜兼行で二台のポンプによる排水を行った。その後ガソリンポンプの排気ガスが船内に充満したため、一台のポンプは操業を中止し、他の一台だけで排水を続けるとともに、排気ガスを排除するため甲板に通風孔を開けた。同月一四日夜には一台のポンプによる排水作業も中止し、同月一五日正午頃からポンプ一台による排水を再開し、右の作業を続けながら、同月一六日午後ホノルル港に到着し、同日午後四時頃第二三洋丸が接岸を終えた。

第二三洋丸は、ホノルル港で検査を受け、修理されたが、その結果右浸水の原因は船底に約一インチ(二センチ五ミリ)の亀裂が生じたためであることが判明した。

(4)  右の事故に関しては、被控訴人三井不動産と岡田組間に救助料の支払について紛争が生じたが、昭和三八年七月二五日、曳航料とは別に被控訴人三井不動産が岡田組に解決金として金八〇〇万円を支払うことによって右紛争は解決した。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

3  右事実によれば、第二三洋丸は、航行中船底の亀裂による浸水のため放置したならば航行不能ないし沈没を免れない状態に至ったものと推認される。そして右亀裂が曳船又は被曳船いずれかの責に帰すべき事由により生じたとの的確な証拠はないから、第二三洋丸は海難に遭遇したものというべきであり、また控訴人らは弁天丸船長中村信夫の指揮を受けその救助をしたものというべきである。

4  ところで、本件は、海難に遭遇した航海船とその積荷に対する航海船の救援救助であり、救助船、被救助船はともに「海難における救援救助についての規定の統一に関する条約」(大正三年条約第二号、以下、海難救助条約という。)の締約国である日本の国籍を有し、積荷利害関係人である被控訴人パシフィック社はアメリカ合衆国法人であるから、同条約一条、一四条、一五条一項、二項二号により、本件海難救助料請求については同条約の適用があることが明らかであるところ、同条に基づく海難救助料請求権が発生するためには、海難に対する救援救助行為が義務なくしてされたものであることを要すると解される。

そこで、控訴人らのなした前記救助行為が義務なくしてされたものというべきか否かにつき判断するに、曳船の所有者は、曳船契約履行中、被曳船が通常生ずるとはいえない事故により海難におちいった場合においても、曳船に急迫な危険が存しないかぎり、原則として、被曳船の海難につき信義則上相当と認められる程度の適切な処置をとるべき契約上の義務を負担するものと解すべきである(控訴人らは、本件曳船契約は雇傭型であることを強調するが、前認定の事実関係からすると本件契約の実質が雇傭契約そのものとは考え難く、また、曳船契約をその内容により物品運送型、請負型、雇傭型の三類型に分類した場合、仮に本件契約が雇傭型に属するといえるとしても、そのことから直ちに控訴人ら主張のように「牽引動力」を提供すること以外の義務をすべて否定すべきものともいえない。また、控訴人らが主張するように本件曳船の基本契約書である乙第八号証の第一〇条には「岡田組は、被曳船、被曳船積載貨物に関する一切の損傷及び本曳航作業の着手及び完遂の失敗……に対して責任がない」旨の規定があるが、右は単に岡田組に対し損害賠償につき免責を与えたものにすぎず、本件曳船契約に右の約定があることによって、弁天丸の乗組員が第二三洋丸ないしその積荷に対し行う救援救助行為がことごとく義務なきものとして、海難救助条約に基づく海難救助料の請求を可能にするものでないことも自明のことというべきであり、右免責約款は曳船の所有者が曳船契約上前述の義務を負担するものと解することと矛盾するものではない。)。したがって、曳船所有者は、右義務の範囲内にあるかぎり、被曳船所有者又はその契約上の利益を享受しうる立場にある積荷の所有者に対し、海難救助条約に基づく救助料を請求することはできず、このような場合には、曳船の船長及び海員もまた右救助料を請求することができないと解される。

前記認定した事実によれば、弁天丸の船長及び海員が第二三洋丸の浸水事故に対してとった前記救援救助行為は、その性質、程度に照らし、本件曳船契約上岡田組が負担すべき義務の範囲内のものであるというべきであり、そうすると、控訴人らは被控訴人らに対し、海難救助料の支払を求めることはできず、控訴人らの本訴請求はその余の点を判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。

三  よって、原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 内藤正久 堂薗守正)

<以下省略>

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